10日間の瞑想で私は変われたか。

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もうこの手の話あきた?まぁそう言わずに。

 

写真ゼロで無駄に長いですが、お時間があれば是非一読くださいませ。
瞑想シリーズ第3話目。

 

 

結局の所、この10日間の瞑想で私は変われたの??

 

さっそく結論、私は変わりました。パチパチパチ

 

 

正直、瞑想を終えたばかりの時、何の変化も感じませんでした。
「まぁ、人間そう簡単に変わらないよな・・・」と。
あれから約2週間近くが経つ今、あの時とは少し違う心持ちがしています。

 

それは、「あ、私変わってる!」「昨日よりも変わってる!」とかっていう、日に日に感じる変化ではないです。
例えて言うなら、「髪の毛が伸びる」という変化に似ています。

髪の毛は毎日確実に伸びています。
でも毎日毎日「これだけ伸びたなー」って思わないでしょ?
それは一日じゃ気付かない程の小さな伸び。
数週間、数か月が経って、「あれ!いつの間にかこんなに伸びてる!」って気付くのと同じ変化です。

(この例え、実は自分的に「うまい!」って思ってる。笑)

 

私は数日後に、っていう結構短いスパンだけど(笑)、ある日ふと、自分が変わってることに気づきました。

ある出来事について考えた時に、「あれ、今まで私そういう風に考えてたんだっけ?」と思ったことがきっかけです。
(その「ある出来事」とやら、話すと長いから割愛。笑)

自分の変化を説明するのは難しいんだけど、端的にいうと「柔らかくなった」といったところでしょうか。

優しくなったとかっていう意味ではなく、まして身体が柔らかくなったという意味でもありません。
なんというのかな。
「受け入れる」ができるようになったというか。
心が柔軟になったというか。

 

自分で言うのもなんだけど、私は自分のことを「強い」と思っていました。

それほど周りに流されることなく、自分の意思でもって、自分のことを自分で決めることができるという点です。
時には「芯が通ってる」「しっかりしている」とも言われるし、時には「自分勝手だ」「空気を読まない」とも言われます。
私の強さは、いわば、かちこちに固まった強さでした。

 

それが「柔らかさ」を持ったのです。
何かを跳ね返すにしても、カチンと拒絶すよるように跳ね返すのではなく、ぷよんと受け止めながら柔らかく跳ね返す、というような・・・。

というか、結局は跳ね返すんかい、という話なんですが。笑
しかも「受け入れ」てないし。笑

 

なんかよく分かんないね(-_-;)
まだまだ口に出して言える程は掴めてないってことですよ。この変化。
ちょっと今、敏感に髪の毛の伸び具合気にしてるだけな気もするからね。

(やっぱりこの例え、うまい。笑)

 

 

 

あともう一つ。
というかこれが一番大事だったりして。

 

私の中で大きな変化がありました。

 

「え?」って感じですが、「髪の毛の例え、なんだったん?」って感じですが、まーとりあえず聞いてください。もとい、読んでください。

 

これ、ものすごく個人的なことだから、ここに書くかどうか迷ったけど、よく考えたら、いやよく考えなくても、「なに。今さらじゃん」って感じなんで、書きます。

そもそもこのこのブログ自体めちゃめちゃ個人的なものだからね。
しかもさ、読者の皆さん、もしかしなくてもこういう個人的なこと好物だからね。

(パソコンで見てる方)見てみ。サイドバーにある人気記事のとこ。
ほぼ旅に関係ない、ピーター紹介の記事と愚痴しか書いてない記事がワンツーですからね。はっ。
それにしてもピーター記事人気すぎ。笑

 

 

話それた。

 

えっとー、そう。
迷ったけど、書きます。

 

実はそもそも私がこの瞑想に参加した理由というのは、ただ単に考える時間が欲しかったからなんです。

 

煩悩を捨てるとか悟りを開くとか、帰依するとかどうでもいいんです。

ダンマとか、善悪とか、道徳とか、心の清浄とか、そんなことはどうでもいいんですよどーでも。

 

ただただ、ただただ「考える時間」が欲しかったんです。
何もせず、何にもとらわれることなく、自分の心とじっくり向き合える時間が欲しかった。

その点で、この10日間の瞑想プログラムはうってつけだったのです。

 

時間をかけて何について考えたかったのか。

これがめっちゃ個人的なこと。
今もなお引きずってる大好きな人のことです。

 

彼については、実は準備編で2度ほど書かせていただきました。
私の熱心な読者様はきっと心当たりがあることでしょう。
(心当たりある人、いるかな。い、いるよね。おーい。笑)

そうその彼です。
(心当たりのある方、ありがとう(*´Д`))

(記事は今公開してません。)

 

 

 

私ね、もう疲れちゃったんです。
彼にいつまでも引きずられてる自分に。

 

彼に関しては紆余曲折を繰り返してきました。

忘れようとしても忘れられず、一途に想い続けようとしても結局決心が鈍る。
忘れようとしてるのにできないことが辛くて、忘れるのを諦めて思い出すとこれもまた辛い。

 

いつも頭から追い出そうとしてるのに、離れないんです。
こうやって世界に出てる今でさえ、何度も何度も思い返してしまう。

 

もうね、疲れた。

彼について考えるのが。
彼について思い浮かぶこと、そしてそれについていちいち一喜一憂してる自分に。

もういい加減、解放されたい。

 

だから、もうこの際徹底的に考えてやろーじゃないの!と思ったわけです
10日間朝から晩まで考え続ければ何かしらの結論に至るでしょう!と。

 

かくして、めちゃめちゃ不純な動機で私の瞑想修行は幕を開けるのでした。笑

 

(前回の記事でも書いたように、本当は瞑想中、何も考えてはいけないの。ただ呼吸と感覚だけを観察しなきゃいけない。だから、ヴィッパサナ瞑想の修行してるはずなのに、私1人めっちゃ個人的なことしてるからね。笑)

 

最初の3日間くらい、私は思い出せるだけ全てのことを思い出し、考えられるだけのことを考えました。
過去の思い出、現在の状況、未来への希望。

 

思い出し、考え尽くしたところで、ふと、あるクリアな疑問が頭をよぎりました。

私はどうして彼にこんなに執着しているんだろう?

 

 

その頃に、例のテープでこんな話を聞きます。

 

ある高名な画家がいました。
画家はキャンバスにそれはそれは綺麗な女性の人物像を描きました。
画家はその絵の女性にすっかり心を奪われ、こう願いました。
「あぁ、この人が欲しい。どうかキャンバスから出てきて私のものになってほしい」と。
周りの人は呆れました。
「何を言ってるんだ。それは君が自分で描いた絵じゃないか」と。
それでも画家は聞く耳をもたず、決して叶うことのない願いをただ祈るばかりでした。

あるいはこういう話でもいいでしょう。

その画家はキャンバスにそれはそれは恐ろしい悪魔を描きました。
画家はその絵の悪魔にすっかり怯え、必死に逃げようとしました。
「あぁ、恐ろしい。この悪魔は私を殺しに来る。怖い」と。
周りの人は呆れました。
「何を言ってるんだ。それは君が自分で描いた絵じゃないか」と。

私たちは皆、この画家のような一面を持っているのです。
心の中で自分自身で描いた絵に魅了されたり、怯えているのです。
過去の栄光や、未来への輝かしい希望に執着してはいけません。
過去の不幸や、未来への不安に執着してはいけません。
それは、ただのイメージ、頭の中から決して出てくることはない、現実ではないのです。
ここにあるのは、ただ今自分が感覚として感じていることだけなのです。

 

この話を聞いた時、私は夢から覚めたような心地がしました。

それはまさに、今までの私が繰り返していたことだったのです。

楽しくて幸せだった思い出に浸って執着し、これから未来の希望や可能性に期待しいつまでも捨てきれず執着していました。
私は、自分が好き勝手に描いて脚色した絵に、魅了され、怯え、怒っていただけなのです。

 

 

さらにもう一つ。話を紹介します。

 

2人の男がいました。
一人は赤いレンズの眼鏡をかけています。
もう一人は青いレンズの眼鏡をかけています。
2人は自分の見える世界について話しています。
「この世界は全てが赤い」「いやいや、この世界は全てが青い」

この2人は、自分が色付きの眼鏡をかけていることに気づかない限り、あるいは他人は自分とは違う色の眼鏡をかけているんだと理解しない限り、決してお互いを認め合うことはないでしょう。

私たちは、色付きの眼鏡をかけて世界を見ています。
同じモノでも、人によっては見え方が違うし、価値観が違います。
それを理解し、そしてその眼鏡をはずす努力をしましょう。

 

この話の意図とは違う形でだけど、私ははたと思い至ることがありました。

私はもしかしたら、「好き」という眼鏡で彼とのこと全てを見ているんじゃないかと。
「好き=赤」なら、彼と過ごした時間全て、楽しかったことも辛かったことも、全て真っ赤に見えていただけなんだと。
つまり、「恋は盲目」ということです。

 

 

それから私は、違う視点で、改めて彼について考えてみました。
考えると言うよりは、心に思い浮かぶままに任せてぼんやりと思い返しました。

 

静かな心で、冷静に、客観的に、無関心に。

心に浮かんだことに執着しない。
それに関して、何も意味を見出そうとしない。
浮かんだことをただありのまま、そのままの形で眺め、観察し、それに対して喜怒哀楽の感情を塗りつけない。

 

 

日程が終わるまで、これを続けました。
そしてはっきりと分かるほどの変化を感じたのです。

 

今でも相変わらず、彼のことを思い出します。心に思い浮かびます。
でも前みたいに、心が激しく乱れることはなくなりました。

思い出して懐かしく思うこそすれ、そこに対して「」を感じなくなりました。

(いや、正直に言うと、今はまだそうする努力をしている。無意識にはまだできない。)

 

 

今、すごく心が楽です。

結論として、「忘れる」ことにしたのか「想い続ける」ことにしたのかはよく分からない。
決断することに、執着することをやめただけかもしれません。

ただはっきり分かるのは、今までの、自分でも持て余す程の焦燥感が無くなったことです。

 

 

結果として、この10日間の瞑想修行は私にとって実り多いものになりました。
当初の目的を果たせただけでなく、大きな意味で自分が変わるきっかけになったと強く感じるからです。

 

今回は、ちゃんと瞑想法に基づいて修行したわけじゃないし、ぶっちゃけあの講話のテープが一番役に立ったんだけど、でもこうやって10日間、みっちり自分の心の中と向き合う経験はとても貴重なものでした。

 

前に書いたけど、これを人に勧めるかどうかという話。
「とてもいい経験になるけど、興味がある人は日本の施設に行きましょう。」

 

 

 

長々と失礼しました。
もう最後まで読んじゃったあなたは、うさぎちゃん押さないとダメなんだからね!!

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