瞑想法と悟りを開くということ。

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今回は、10日間の瞑想を通して、というか期間中に聞いたテープの内容に基づいて、うろ覚えながら、この「瞑想法」「悟り」について書きたいと思います。

 

毎日、19時から21時までの間、日本語のテープで瞑想の仕方や、瞑想の最終到達地点のこと、ブッダの歩んできた道等々色んな話を聞きました。

 

この時間がすごく大事でした。
というか、この日本語のテープがとても大事でした。

これがなければ、何が何だか分からないまま、10日間ただ黙々と考えに耽っていただけで終わっていたと思います。
(ま、私の当初の目的はこの「ただ黙々と考えに耽る」だけだったんですけど・・・)

 

なので、本当の意味での「瞑想がしたい」という方は、是非日本語テープのある施設か、日本の施設に行かれることを強くおススメします。

 

*これから述べることは、うろ覚えの記憶に基づいて書いてます(書き留めることができないかったから)。もしかしたら実際のテープの内容と異なってるかもしれません。あくまで私の備忘録ですので、どうかご容赦くださいな。あるいは間違ってる箇所を指摘してくれるとなお嬉しいです。
「~だそうです」「~らしい」というのが全ての語尾に付きますが、書くのかったるいので、頭の中でそう付けて読んでくださいm(__)m

 

 

■瞑想の仕方

悟りの境地に至るための瞑想法というのは、色んな種類のものがあります。
ヴィッパサナ瞑想法」はその中の一つです。

この瞑想法の特徴は「観察」。

あるゆる物事を、客観的にありのままに観察する瞑想法です。
そしてその「観察」の対象が「自分の体の感覚」にのみ絞っています。

 

まず、1日目から3日目あたりまで、「呼吸」を観察します。

上唇を底辺とした鼻の下の三角形の部分に意識を集中して、吸う息・吐く息、息に触れる皮膚の感覚を観察します。

呼吸をコントロールすることはしません。
浅い息なら浅いままに、深い息なら深いままに、ただ観察を繰り返します。

この「呼吸の観察」を「アナパナ瞑想法」といいます。
「ヴィッパサナ瞑想」への導入法です。

 

4日目あたりから、今度は「全身の感覚」の観察に入ります。

頭のてっぺんから足のつま先まで、順番にすみずみまで「感覚」を観察していきます。
暑いとか寒いとか、汗をかいているとか、かゆいとか、痛いとか、脈打っているとか、服に触れているとか、何でもいいです。感じられる「感覚」に意識を集中します。

最終日までこれを繰り返します。
そしてこれは全てです。

この先のステップがあるのかもしれませんが、10日間の瞑想修行ではここまででした。

 

ここまで読んで「え、それが瞑想の仕方なの??」と思った皆さん、気持ちお察しします。私も同感です。
まさか、これが「瞑想」だとは思いませんでした。
でもこれが「ヴィッパサナ瞑想法」のやり方です。

 

もう少し細かく色々と指示されるんですが、長くなるので割愛。

 

1日朝から晩までただ座って、呼吸や感覚を観察します。
正直めちゃめちゃ辛いです。
(ま、正直、あたしはあまり熱心には取り組んでないんだけど・・・)

 

ちなみに瞑想中の姿勢は、自由です。(いや、一応決まってるのかな?)
あぐらの人、体育座りの人、足を伸ばしてる人、イスに座ってる人、様々。

 

 

 

■ブッダの話

私たちは「ブッダ」と言えばある特定の一人を思い浮かびますが、「ブッダ」というのは「悟りを開いた者」という意味であり、「ブッダ」は何人もいます。

でも今ここでは、仏教を開いたとされる「ゴータマ・シッダールタ」(本当はこれも個人名じゃないんだけど)を指して話します。

 

彼は、とある国の王子でした。
ある日彼は、全ての人間は「老・病・死・生」の苦しみから逃れらない運命にあることに気づきます。
そして城を飛び出して、悟りを開くため修行に明け暮れます。
そして、菩薩樹の下でとうとう彼は悟りを開き、「ブッダ」となりました。

 

ブッダは、悟りを開くまでにあらゆる師の元で修行を重ねますが、満足できるような結果を得られませんでした。
そしてある日「全ての根源は自分の中にある」と思い、自分の体を隅から隅まで、外側から内側まで、ひたすら観察をしました。

 

ブッダ、小さいものからより小さいものに意識を研ぎ澄まし、集中させていきました。

そして彼は、自分の体を作っているのはとてつもなく小さなものの集まりだということに気づきます。
それは、原子と呼ばれるものよりも更に小さいものです。

それは、一瞬よりもさらに速い間隔で「生まれ、消える」を繰り返し、不変ではないことに気づきます。

自身の身体を観察して、そこから得た経験でブッダは導き出しました。
この世に不変なものなどない、全ては生成と消滅を繰り返し、常に移り変わっているのだ」と。

 

 

■「ダンマ」「シーラ」「サマーディー」「パンニャ」

ブッダの教え、悟りの境地、解脱等々、を語る上で繰り返し聞く言葉がたくさんあります。

特にキーワードとなるのが、「ダンマ」、「シーラ」、「サマーディー」、「パンニャ」。

簡単に説明すると、「ダンマ」とは宇宙の真理、普遍の真理を意味します。
「シーラ」は道徳「サマーディー」は精神統一「パンニャ」は知恵による心の浄化を意味します。

 

瞑想の末に目指すのは悟りの境地の至ること、つまり「悪い行いをやめ、良い行いをし、心を清らかにする」ということです。
そのためには、以上のことをきちんと理解しなければいけません。

 

(あ、どうしよ。めっちゃ長くなりそう・・・(゚Д゚;)ちょっといきなりですが割愛。笑)

 

えっと、ちなみに「悪い行い」というのは、周りの人に迷惑をかける行為「良い行い」というのは、周りの人を幸せになる行為です。らしいです。

さらに、ちなみに、愛と慈しみ以外のもの、欲望や嫌悪などは全て不浄のものとしています。らしいです。

 

正しく瞑想(修行)をし、正しいダンマの道を進んでいる証として、「見返りを求めない施し」をし、「感謝の気持ちを常に持ち続けている」ことが、正しいダンマの道です。

 

 

ダンマに関する話で、面白い、なるほどと思ったものがあったので紹介します。

 

■種と実の関係

ここに、2つの種があります。
1つは苦くてまずい実がなる木の種、もう1つは甘くておいしい実がなる種です。
この2つの種を、全く同じ土壌、同じ水、同じ陽の光のもとで育てます。
やがて、育ち、それぞれ果物を実らせます。
当然、1つは苦くてまずい果物、もう1つは甘くておいしい果物です。
どんなに素晴らしい肥料を与えても苦くてまずい種は、決して甘い果物を実らせることはできないし、祈ったり懇願したりしても、それは変わらない。

つまり、物事の結果(実)には全て根源(種)があるのです。

私たちは、これから実る果物にばかり意識を傾けるけど、自分が何の種を植えているのかが本当はより重要で、気をつけなければいけないのです。

 

■知識と経験の関係

ある空腹な男がレストランにいました。
彼はメニューを見て「ああとても美味しそうだな。お腹いっぱい食べたいな」とわくわくします。これが1つ目の出来事。
彼は注文をし、待っている間周りを見渡します。他のお客が全員おいしそうに食べているのを見て「絶対に美味しいにちがいない」と胸を高鳴らせます。これが2つ目の出来事。
そしていよいよ注文の料理が来て、彼は食べ始めます。「ああ本当に美味しい。お腹が満たされた」と心から満足します。これが3つ目の出来事。

1つ目の出来事は、書物などで得た知識です。美味しいかもしれないけど、実際の所は分からない。
2つ目の出来事は、周りから聞かされる経験談としての知識です。実際に満足している人を見るけど、だからといって自分が満腹になることはない。
そして3つ目の出来事は、自分自身で体験した本物の知識です。自分の口で食し味わったことで、腹を満たし本物の満足を得ることができました。

つまり、どんなに知識を詰め込んでも自身が満たされることはありません。
全てにおいて、より大事なのは知識ではなく体験です。

(ま、当たり前のことなんだけど、例えがうまいから納得できた。)

 

他にも色々ありましたが、忘れました。笑
以上です。

 

 

■私個人の感想

ここで聞いた説法はすごく勉強になったんですが、所々納得できないものもありました。

一番納得いかなかったのは、「愛と慈悲以外は全て不浄」という考え方です。

この瞑想が目指すもの、果ては解脱するということは、我を捨て欲望を捨てることなんだそうです。
もちろん大きすぎる我や欲望は善いものだとは言えないけど、「我も欲望もないなんて人間じゃない」というのが私の持論です。

そのことが喉に引っかかった魚の小骨みたいに気になってしばらくは反感を持っていたんですが、「我も欲もないのは人間じゃない」つまり「ブッダは人間じゃない」ということで、私の中で一応の解決をみたので、良しとします。(え?笑)

あとは、「悪い行い」というのが人の迷惑になる行為、「良い行い」というのが人を幸せにする行為、という考え方。

悪い行いをやめなさい、とブッダ(とか)は説いています。

何が「悪い行い」なのかということにまず議論の余地があるんですが、ここで定めている「悪い行い=人の迷惑になる行為」を悪だとする考え方が納得いきません。

これまた「周りに迷惑をかけずに生きている人なんて人間じゃない」というのが私の持論なわけで、だからつまりは「ブッダは人間じゃない」ということでこれまた一応の解決を見たので良しとします。(え?笑)

それに私は、「人に迷惑をかけてはいけません」という教えよりも、「人に迷惑をかけて生きているんだから常に気遣いと感謝を持って生きなさい」という教えの方が好きです。

 

ま、あくまで私の意見です。見解です。持論です。偏見です。

 

色々思うことはあったけど、実際めちゃめちゃ為になりました。
ブッダの教えに関する本とかを改めてちゃんと熟読したいなと思ったくらい。

 

正直、朝から晩までの10日間の瞑想漬けも、この日本語の講話テープがあったからこそ実りあるものになったと思います。
日本語テープ様様。

 

次回、この10日間の瞑想修行で果たして私は変われたのか?という皆様の疑問(??)にお答えいたします。お楽しみに。

 

 

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